ご当地作家、島崎藤村が
『夜明け前』の中で描写した御幣餅



 その晩、家のもの一同は炉辺に集まった。隠居はじめ、吉左衛門から、佐吉まで一緒になった。隣家の伏見家からは少年の鶴松も招かれて来て、半蔵の隣に坐った。おふきが炉で焼く御幣餅の香気はあたりに満ち溢れた。
「鶴さん、これが吾家の嫁ですよ。」
 とおまんは隣家の子息にお民を引合せて、串差にした御幣餅をその膳に載せてすすめた。こんがりと狐色に焼けた胡桃醤油のうまそうなやつは、新夫婦の膳にも上った。吉左衛門夫婦はこの質素な、しかし心の籠った山家料理で、半蔵やお民の前途を祝福した。

新潮文庫『夜明け前』より


 ご紹介したのは、主人公であり馬籠宿の本陣の若き当主・半藏が、妻籠宿本陣の娘・お民と祝言を挙げてから六日目の夜の様子を描いたもの。この日、姑は朝から五平餅の心づもりをし、下女に支度をさせています。身内だけであらためて嫁入りを祝う席に素朴な五平餅はふさわしく、心あたたまるシーンです。ちなみに、藤村の小説中では五平餅は「御幣餅」と表記されています。タレの胡桃醤油はくるみ「だまり」とルビが振られ、この他の箇所に「串差にしたのと、一つづゝ横にくはへて…」とあることから、カタチはだんご型でしょうか。「夜明け前」執筆当時は、故郷を離れていた藤村。「ふるさとの味」を描写する時、どんな思いが心をよぎっていたのでしょうね。